| >>アッシーの人生 |
| ―第1章 アッシーの誕生― |
■1962年11月10日 芦沢誠、東京都大田区に生まれる。
←これは赤ちゃんの頃のアッシーを描いてみたつもりだったんですが、どういうわけかあんまり今と変わらない感じになってしまいました。
「休日にザコ寝してるアッシー」という感じになりました。 |
| ―第2章 アッシーの小学生・中学生時代― |
■小学校2〜3年生の頃、おじいさんに誕生日プレゼントとしてHOゲージをもらい、大喜びする。
■中学1年の時、後楽園球場に巨人戦を、今はもうない後楽園球場に見に行き、巨人の選手に(心を)傷つけられ、この頃からアンチ巨人となる。
■中学校では、まず陸上部に入部する。しかし、8ヶ月でやめてしまい、その後は、放送部・写真部などを点々とする。
■高校受験の頃…この頃、これまで純粋な(?)道を歩んできた誠くんも、とうとうエロ本にはまりだす。
勉強せなアカンと思いつつも…。
■そして中学卒業へ。
卒業式の後は、クラスのみんなで近所のラーメン屋へ食べに行ったそうです。
みんなでワイワイと、とっても楽しかったでしょうねぇ。 |
| ―第3章 アッシーの高校時代― |
■高校の文化祭では、アッシーは「DJ喫茶」をやりました。
アッシーがDJとしてしゃべっているのを聞きながら、皆さんにコーヒーなんかを飲んでもらおうというものです。
当然いろいろ曲もかけながらやるわけですが、ここでは、当時大ヒットの松田聖子「蒼い珊瑚礁」を、なんと2曲に1曲のペースでかけたそうです。
でも、それだけでお客さんは集まって来たとか。
松田聖子はやっぱりすごい!
■高校の卒業式では、アッシーたちの仲間は、あまりにも校長先生とか、来賓の話が長いので、退屈になって手近にあった紙で紙飛行機を作って飛ばして遊んじゃったそうです!
もう、最後の最後まで先生に怒られたそうな。
でも、アッシーらしいと言えば、アッシーらしいですかね。 |
| ―第4章 アッシーの大学時代― |
■高校卒業後、1年間の浪人生活を経て、大学に入学。
■だいたいこのぐらいの時期、18歳の頃、それまで良く弾いていたギターを、「Fコードが弾けない」という理由で挫折する。
■そして! ミューパラの放送でも時々話題に出てくる、あの伝説の「フランス語のテストで0点」をここで取る!
■…しかし、そんなアッシーも、いよいよABCへの就職を決め、東京から大阪に引っ越してくることに。
この引越し作業に追われたため、アッシーは大学の卒業旅行には行けなかった。 |
| ―第5章 アッシーの若手アナウンサー時代― |
■1986年4月、ABC朝日放送に入社。
■入社してすぐの4月・5月の頃は、初給料だけでは生活がまかないきれずに、親に借金をしてしのいだ。
■アッシーの全国ネット放送デビューは、ラッコのかぶりものをしての登場となりました。 その時共演した所ジョージさんからは「鞍馬天狗かと思いました。」と言われました。 |
| ―第6章 ミューパラ前身番組担当時代― |
■アッシーが初めて担当したラジオ番組は「サンデー・アフタヌーン・リクエスト」という、今のアッシーから想像もつかないような落ち着いたタイトルの番組ですね(笑)。
■1987年10月、入社2年目にしてアッシーは初の深夜番組「ラジオファンキーズ」を担当する。
この番組は、よる11:30〜1:30と、深夜1:30〜3:00の2部構成で放送。そのうちアッシーは月曜日の第2部を担当した。
■1988年10月、「ラジオファンキーズ」が終了し、「ラジオシティ(サブタイトル・〜世の中シティに向いている〜)」がスタート。この番組は、かなり放送時間がコロコロ変わって、長い時にはよる9:15〜深夜3:00だったことも。これもアッシーは担当した。 |
| ―第7章 いよいよ!激動のミューパラを担当した10年間 |
■1991年10月、いよいよ「〜深夜の爆笑音楽バラエティ〜 ABCミュージックパラダイス」 ―つまりミューパラがスタート!!
■1992年3月29日、今の奥さんである、ちえさんと結婚。
■1992年11月10日 このときアッシー30歳。今と比べればまだ若い。
■1999年7月29日、ちえさんとの愛の結晶・息子の樹(たつき)くんが誕生!! とうとうアッシーも本物の"オヤジ"に。
■2001年9月26日、アッシー最後のミューパラ放送… またいつでも帰ってきてや! |
| …ほか、これだけのスペースではアッシーのミューパラにおける歴史は語り尽くせない。。。 |